親戚

「心配だから」と言われるたび、私は静かに値踏みされていた

Yさん・30代

結婚して、夫の家族とのつきあいが始まったとき、いちばん心強かったのが義姉の存在でした。気さくで世話好きで、緊張している私に真っ先に声をかけてくれる。この人がいれば、義実家でもうまくやっていける。私はそう思って、心からほっとしていました。

心強い味方だと思っていた

結婚したばかりのころ、私は夫の親戚づきあいに、ずっと身構えていました。何が正解かわからず、ちょっとしたことで失礼がないかと、いつもびくびくしていたのです。

そんな私に、義姉は「気をつかわなくていいのよ、家族なんだから」と笑ってくれました。法事の段取りも、義実家での振る舞い方も、こまごまと教えてくれる。頼れる人がいる安心感に、私はすっかり甘えていました。お盆や正月に顔を合わせるのが、最初のころは楽しみですらあったのです。

口ぐせは、「心配だから言うけど」でした

最初に胸がちくりとしたのは、子どもの話題のときでした。「うちの子はもうこれくらいできるけど、◯◯くんはまだなのね。心配だから言うけど、早めにやらせたほうがいいわよ」。心配という言葉がついているぶん、言い返しづらい。けれど、なぜか胸の奥に小さな棘が残りました。

住まいのことも、よく話に出ました。「まだ賃貸なのよね。うちはもう建てちゃったから。早く決めないと、あとで心配よ」。家計のやりくりから、夫の稼ぎ、子どもの習い事の数まで、義姉はやわらかい口調で、でも確実に、わが家のあれこれを値踏みしていきました。

いちばんこたえたのは、義母を巻き込むことでした。「お義母さんも心配してらしたわよ」。本当に義母がそう言ったのかは、わかりません。けれど、その一言を出されると、私はもう何も言えなくなってしまうのでした。

波風を立てたくなくて、笑っていました

それでも私は、自分に言い聞かせていました。義姉は親切な人だし、本当に私たちを心配してくれているのかもしれない。気にする私が、心が狭いのだ、と。

親戚づきあいで角を立てたら、夫にも、義実家全体にも、しこりが残ってしまう。そう思うと、何を言われても笑ってやり過ごすしかありませんでした。引っかかりに名前をつけられないまま、私はただ、帰省のあとにどっと疲れる自分を、慣れない気づかいのせいだと思っていたのです。

気づいたのは、帰省のあとの自分でした

流れが変わったのは、ある帰省の帰り道でした。車のなかで、私はまた、義姉に言われた一つひとつを思い返しては、わが家の至らないところばかり数えていました。家族に会ってきたはずなのに、心はちっとも満たされていない。

相手の言葉を一つずつ責めるより先に、私は自分の状態に目を向けました。義姉と長く話した日は、決まって自分の暮らしが急にみすぼらしく思える。逆に、ほかの親戚とのんびり過ごした帰りは、そんなふうにはならない。同じ親戚づきあいでも、あとに残るものがまるで違っていたのです。

家に帰ってから、ここ数年の帰省であったことを、ノートに書き出してみました。子どもの比較、住まいへの値踏み、義母を持ち出す一言。ばらばらだった違和感が、ひとつにつながりました。好意の顔をしているのに、関わるとこちらが小さくなっていく。そんな相手をフレネミーと呼ぶのだと、どこかで読んだのを思い出しました。その言葉は、ずっと言えずにいた気持ちに、そっと輪郭を与えてくれました。

会う頻度と、渡す話を、自分で決める

義姉は、親戚です。職場の人や友達のように、距離を置けばそれで済むというものではありません。だから私が選んだのは、縁を切ることでも、面と向かって責めることでもありませんでした。会う場では今までどおり、感じよく接する。そのうえで、自分から渡すものを、少しずつ減らしていくことにしたのです。

子どもの成長や家計の悩みといった、値踏みの材料になる話は、もう自分からは差し出しません。聞かれても「ぼちぼちですよ」とやわらかくぼかして、別の話に移す。「心配だから」と切り出されても、「ありがとうございます」とだけ受けて、深くは相手をしない。

帰省も、毎回長居しないようにしました。夫とも少しずつ話して、滞在を短めにしたり、義姉と二人きりになる時間を減らしたり。最初はぎこちなくて、これでいいのかと迷う日もありました。それでも、どの距離なら自分が削られずにすむかを、少しずつ確かめていきました。

割り切れなさも抱えて、今

劇的なことは何も起きていません。義姉が変わったわけでも、親戚づきあいがなくなったわけでもありません。会えば今でも、にこやかに言葉を交わします。

変わったのは私のほうでした。「心配だから言うけど」と切り出されても、前ほど胸に刺さらなくなったのです。値踏みされても、わが家にはわが家のペースがあると、静かに思える。帰省のあとに自分の暮らしを嫌いになることも、ずいぶん減りました。

それでも、正直に言えば、すっきり割り切れたわけではありません。血のつながった家族のなかで、一人だけ心の距離を保っていることへの後ろめたさのようなものは、今もときどき顔を出します。それでも、相手の事情を思いやることと、自分が削られ続けるのを受け入れることは、別のことなのだと、今は思えるようになりました。親戚という言葉に縛られて、自分まで小さくしてしまわなくていい。同じように、近しい誰かにだけ妙に疲れている人に、この気持ちが少しでも届けばと思います。

※ プライバシーに配慮し、内容を構成しています。

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