趣味

褒められているのに、会のあとはいつも自信をなくしていた

匿名・40代

四十を過ぎて、子育てが少し落ち着いたころに始めた写真が、私の新しい楽しみになりました。地元の小さな写真サークルに入って、同じ趣味の仲間と撮り歩く時間は、何ものにも代えがたいものでした。けれど、いつからか私は、活動のあとに決まって、自分の写真に自信を持てなくなっていたのです。

「先輩」がいたから、続けてこられた

入ったばかりのころ、右も左もわからない私に、いちばん親身に教えてくれたのが、古株のTさんでした。カメラの設定から構図の取り方、撮影スポットの選び方まで、こまごまと面倒を見てくれます。「最初はみんなそう。私が教えてあげるから大丈夫よ」。その言葉が、どれだけ心強かったか。

サークルにこんなに頼れる先輩がいる。私は運がいいと思い、わからないことがあれば、まずTさんに相談するようになりました。撮影会のあとに一緒にお茶をして、写真の話で盛り上がる時間が、ささやかな楽しみになっていました。

教わるうちに、少しずつ感じた違和感

最初に「あれ?」と思ったのは、私の写真が会報の表紙に選ばれたときでした。素直に喜んでいた私に、Tさんはすかさず言ったのです。「よかったわね。まあ、構図はさんざん私が直してあげたからね」。周りは笑い、私も一緒に笑いました。でも家に帰ってから、あの一枚を、誰にも頼らず何度も撮り直したことを思い出して、もやもやしました。

褒め方にも、いつも小さな棘がありました。「センスはまだまだだけど、枚数を撮ってればそのうち上手くなるわよ」「この色づかい、思いきってていいわね。素人っぽさが逆に新鮮」。褒められているはずなのに、聞いたあとはなぜか、自分が少しだけ下がっている。そんな言い方でした。

教えたがりも、だんだん度を越していきました。私が自分なりに考えた撮り方をしていると、「それはダメ、こうしなさい」と途中から口を出してくる。私の写真なのに、いつのまにかTさんの指導の成果のようになっていくのです。

感謝している人を疑うなんて、と思った

それでも私は、自分のほうを責めていました。Tさんはこんなに教えてくれるのだから、悪気なんてあるはずがない。気にしすぎる私が、心が狭いのだ、と。

お世話になっている人に不満を持つなんて、と思うと、誰にも相談できませんでした。引っかかりに名前をつけられないまま、私はただ、活動のあとに残る疲れを、年齢のせいにしていたのです。

気づいたのは、サークルのあとの自分でした

流れが変わったのは、ある撮影会の帰り道でした。一日たっぷり好きな写真を撮ったはずなのに、私の頭にあったのは、Tさんに直された箇所と、棘のある褒め言葉ばかり。撮ることそのものが、いつのまにか楽しくなくなっていることに、ふと気づいたのです。

相手の一言を一つずつ責めるより先に、自分の状態を見てみました。Tさんと長く一緒にいた日は、決まって自分の写真が嫌になる。逆に、一人で気ままに撮り歩いた日は、つたない写真でも愛おしく思える。同じ趣味の時間なのに、あとに残るものがまるで違っていました。

手帳の予定の横に、ここ半年の出来事を書き添えてみました。横取りされた表紙、棘のある褒め言葉、途中から奪われる撮り方。散らばっていた小さな出来事が、一本の筋になって見えてきました。親しくしてくれるのに、一緒にいるとなぜか自分の価値が下がっていく。そういう相手をフレネミーと呼ぶのだと、ずっとあとになって知りました。その言葉が、名前をつけられずにいた違和感に、ようやく形を与えてくれたのです。

教わる範囲を、自分で決める

気づいてから、私は一つだけ決めました。Tさんを敵だと思うのはやめよう。でも、私の写真と気持ちまで明け渡すのは、やめよう、と。

教わるべき技術は、これまでどおり素直に教わります。けれど、自分の撮りたいものや作品への思いは、もう細かく差し出さないことにしました。撮り方に口を出されても、「なるほど、今度試してみますね」と軽く受けて、その場では自分のやり方を変えない。棘のある褒め言葉が飛んできても、「そうですかね」と流して、すぐ次の被写体に目を向ける。

撮影会も、毎回は参加しないようにしました。一人で撮りに出る日を意識して増やし、自分のペースを取り戻していきました。最初からうまくいったわけではありません。つい作品の説明をしすぎて、また指導が始まってしまった日もありました。それでも、どの距離なら自分がすり減らないかを、少しずつ確かめていきました。

写真が、また楽しくなった今

劇的なことは何も起きていません。Tさんが変わったわけでも、サークルを辞めたわけでもありません。今でも会えば、ふつうに写真の話をします。

変わったのは私のほうでした。Tさんの言葉が、前ほど胸に刺さらなくなったのです。棘のある褒め方を聞いても「そういう言い方をする人だ」と眺められる。表紙の手柄を持っていかれても、あの一枚を撮ったのは私だと、静かに確かめられる。活動のあとにどっと疲れることも、ずいぶん減りました。

距離を取るというのは、相手を切り捨てることではなく、自分の楽しみと自信を、自分の手元に残しておくことなのだと、今は思います。褒められているのに、なぜか自信をなくしてしまう——そんな趣味の時間を過ごしている誰かに、この感覚が少しでも届けばうれしいです。

※ プライバシーに配慮し、内容を構成しています。

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