頼れる先輩だと思っていた人に、少しずつ削られていた
転職して今の会社に入ったとき、いちばん心強かったのが、同じチームのAさんでした。私より五つ上の先輩格で、仕事ができて、面倒見もいい。右も左もわからない私に、社内システムの使い方から、部長の機嫌の読み方まで、こまごまと教えてくれました。「困ったらいつでも聞いて」と笑うAさんを、私は心の底から頼っていました。
「頼れる人」だと思っていた
最初の数か月、私はAさんがいないと仕事が回りませんでした。ランチもよく一緒に行き、家のことや前職の愚痴まで話すようになりました。職場にこんなに親身になってくれる人がいる。運がいいな、と思っていたのです。
だから、ときどき胸に小さな引っかかりが生まれても、私はそれを見ないふりをしていました。お世話になっている人を疑うなんて、と。
少しずつ積もっていった違和感
最初の違和感は、ある会議でした。私が準備した資料が好評で、課長に褒められたとき、Aさんがすかさず言ったのです。「よかったね。まあ、私が方向性を全部決めてあげたからね」。場は笑いに包まれ、私も一緒に笑いました。でも家に帰ってから、あの資料を一人で何日もかけて作ったことを思い出して、なんともいえない気持ちになりました。
二つめは、褒め言葉でした。Aさんは私をよく褒めてくれます。ただ、その後ろにいつも小さな棘がついていました。「その服かわいい、若い子は何着ても許されていいね」「プレゼン上手だったよ、まあ内容は薄かったけど元気でよかった」。褒められているのに、なぜか少しだけ自分が下がる。そんな言い方でした。
三つめは、態度の落差です。二人で話すときのAさんは、私の悩みに親身に耳を傾けてくれます。でも上司や他部署の人がいる場では、私のミスをさりげなく話題に出したり、私が前に打ち明けた弱みを「冗談」として広げたりするのです。人前と二人で、まるで別の人のようでした。
「私の考えすぎかもしれない」
それでも私は、自分を責めていました。Aさんはこんなに親切なのだから、悪気なんてないはず。気にする私が心が狭いんだ、と。誰かに相談しても「いい先輩じゃない」と返ってくる気がして、何も言えませんでした。
引っかかりに名前をつけられないまま、私はただ「最近疲れるな」と感じていました。仕事が忙しいせいだと思っていたのです。
気づいたのは、「会った後」の自分だった
潮目が変わったのは、ある日ふと、自分の状態に気づいたときでした。Aさんとランチした午後は、決まって気分が重い。Aさんと話した日の夜は、なぜか自分の至らないところばかり頭に浮かぶ。逆に、Aさんが休みの日は、不思議と仕事がはかどって、心が軽いのです。
相手の言動を一つずつ責めるより、自分の状態を観察したことで、ようやく像が結びました。私は、表面の親切と、その下で静かに削られていく感覚を、ずっと一緒くたにしていたのです。
試しに、ここ半年でAさんとの間にあった出来事を、手帳の隅に一つずつ書き出してみました。褒め言葉の後ろの棘、会議での一言、人前で広げられた弱み。並べてみると、ばらばらだった点が一本の線になりました。親切なのに一緒にいると消耗する相手のことを、フレネミーと呼ぶのだと、いつか何かで読んだ覚えがあります。その言葉が、ずっと名前をつけられずにいた違和感に、ようやく一つの形を与えてくれました。
自分を守る、小さな一歩
気づいてから、私は一つだけ決めました。Aさんを敵だと思うのはやめよう。でも、私の内側まで渡すのもやめよう、と。
具体的には、仕事は今まで通り淡々と協働します。教えてもらうべきことは素直に教わるし、必要なやりとりは丁寧にする。けれど、家庭のこと、将来の不安、誰かへの不満といった「弱みになる話」は、もう差し出しませんでした。ランチの誘いも、毎回は受けず、自分のペースで断るようにしました。
何より効いたのは、反応の比重を減らすことでした。褒め下げの言葉が飛んできても、「そうですかね」と軽く受けて、すぐ仕事に視線を戻す。会議で手柄を取られても、心の中で「あの資料を作ったのは私だ」と静かに確かめて、表情は変えない。最初からうまくできたわけではありません。つい言い返してしまった日も、笑ってごまかして後で落ち込んだ日もありました。それでも、どの受け流し方なら自分が消耗しないかを、毎日少しずつ試しながら、自分に合うやり方に整えていきました。
楽になった、今
劇的なことは何も起きませんでした。Aさんが急に変わったわけでも、関係が壊れたわけでもありません。今でも普通に仕事の話をします。
変わったのは私のほうでした。Aさんの言葉が、前ほど胸に刺さらなくなったのです。褒め下げを聞いても「そういう言い方をする人だ」と眺められる。手柄を持っていかれても、自分の積み上げたものが消えるわけではないと知っている。会った後にどっと疲れることも、ずいぶん減りました。
線を引くというのは、相手を切り捨てることではなくて、自分の機嫌と自己評価を自分の手元に残すことなのだと、今は思います。あの頃の私のように、親切な人にだけ妙に疲れている誰かに、この感覚が少しでも届けばうれしいです。
※ プライバシーに配慮し、内容を構成しています。